仙台のエンジニアが高め合える場を――Jターンでのコミュニティ運営と働き方

江口拓弥は、パーソルキャリアが2018年に新設した仙台の開発拠点に所属するエンジニアの1人。サービス開発統括部のシニアエンジニアとしてプロジェクトマネジメントを行いながら、仙台で働く社外のエンジニアを巻き込んだコミュニティを運営するなど、会社の枠にとどまらず積極的に活動しています。
ひとたび東京オフィスに顔を出せば、技術面でわからないことがあるメンバーからの「質問攻め」に合ってしまうほど、信頼も厚い江口。そんな彼に、パーソルキャリア入社に至るまで、そして現在の仙台を拠点にした活動について、話を聞きました。

※組織名称は2020年1月時点

足の骨折が契機に――東京離脱を決意

——最初に、江口さんのこれまでの経歴を教えて下さい。エンジニアを志したきっかけは?

元々、Webの仕事に興味があって、新卒で就職したのもWebサービスを提供している地元・山形県の企業でした。

そもそもWebの仕事に興味を持ったきっかけは、Windows98が発売された頃にインターネットに出会ったことが大きいですね。自分でhtmlを書いてホームページを作ったり、「Yahoo!」とかのトップ画面を見て「このページはどうやってできているんだろう?」と疑問に思ってソースコードを見たりして。プログラミングは中学生の頃からやってましたね。

――もともと地元で働きたい気持ちは強かったんですか?

そうですね。山形の短大を卒業したので、その後も山形で働きたいと思っていました。でも、最初の就職先に入社後、すぐに東京に転勤になってしまって。ただ、仕事もハードかつ東京で暮らすには待遇が厳しかったので、東京で金融系のシステムを手掛ける大手SIerの下請けを担当している会社に転職しました。東京に引っ越す時は、「しばらく地元を離れる」くらいの気持ちだったんですが、結果として7年間も東京で生活しましたね。

――2社目のSIerでのお仕事はいかがでしたか?

待遇はかなり改善されたんですが、正直あまりやりがいのない仕事でした。簡単な作業が多くて、エンジニアとしての技術や知見は不要なものがほとんどで。クライアントは金融系の企業が多かったので、身につく知識も限定的なものばかりで、エンジニアとして必要なスキルや経験を習得することから、少し離れていってしまいました。

その当時、Web系の仕事をしている友人と久しぶりに会って話をした時のことをよく覚えているんです。同じ業界で働いているはずなのに、会話がかみ合わず、エンジニアとしての自分の経験値と彼らの経験値にとても大きなギャップができてしまっていると感じました。「今の会社で働いている間に時代から取り残されてしまう!」と危機感を抱いて。そして、仙台のIT企業に転職することにしました。

——引き続き東京というわけではなかったんですか?

東京で家族を作って生活していくと考えた時に、この環境で子どもを守っていけるのか不安になったんです。

というのも、転職を考え始めた時期に、運悪く足の小指を骨折してしまいまして。しばらく松葉杖で通勤していたんですが、これが本当に大変だったんです。満員電車に乗ってもなかなか席を譲ってもらえないし、杖を蹴られることなんかもあって。「もうこんな場所では生活していけない!」と(笑)。もちろん、東京の人が全員、そういう人ではないというのはわかっているんですけどね。

勤務先として山形ではなく仙台を選んだのは、いろいろな条件を考慮した結果でした。山形だと、エンジニアとして働きながら、これまでと同等の生活水準を維持することがどうしても難しくて。妻の出身が埼玉なので、どちらの地元にも帰省しやすい仙台を選びました。

そこで1年ほど働いた後、同僚から声をかけられて、仙台オフィスを新設したばかりのパーソルキャリアに入りました。

コミュニティを通じて、エンジニアをつなぎ、学ぶ――

——パーソルキャリアでどんなプロジェクトを担当しているんですか?

現在は、転職後の“はたらく”を支援するサービスCAREER POCKET(キャリアポケット)のプロジェクトを中心に、新規サービスの開発や若手エンジニアへの教育も担当しています。

マネジャーというわけではないのですが、開発チームの調整や進捗管理といったマネジャー業務のような役割も最近は増えてきました。新しいサービス企画が立ち上がったら、その目的やオーナーの意図を正しく受け取り、実装するためにはどういった作業をメンバーに依頼すればいいか――といった、ビジネスサイドからエンジニアサイドへの橋渡しですね。

——いろいろな業務を担当しているんですね。入社して、およそ1年が経ちましたが、これまで勤めてきた会社と比較して、どうですか?

前の職場より、自分の裁量で動ける部分が多くなった分、責任は増えたと思います。そのプレッシャーもありますが、自由に発言できるチームのなかで働けているので、仕事はしやすくなりましたね。

考えてみると、僕はこれまでずっとtoB向けの企業で働いていたので、toC向けのサービス開発はパーソルキャリアが初めてなんです。そのため、開発しているプロダクトへの当事者意識も強くなったと思います。

——聞くところによると、仙台のエンジニアコミュニティの運営も行っていると伺いました。

そうなんです。前職で初めて仙台に来てから、仙台のエンジニアによる「Sendai Frontend User Group(センダイ・フロントエンド・ユーザーグループ)」というコミュニティを、会社とは関係なく、個人的な活動として運営しています。「フロントエンド技術を中心にしつつも、エンジニアごとの専門領域にこだわらず、広く参加者を集められる場」といったイメージで、ライトニングトーク大会や参加者同士の交流会を企画しています。

——どうして、仙台でコミュニティ運営を始めたのですか?

きっかけになったのは、仙台に来てから初めて足を運んだ「Vue.js」の勉強会です。「エンジニアの勉強会を、ユーザー主体でやることなんてあるんだ!」と衝撃を受けました。もちろん東京にも似たようなイベントや勉強会はありますが、企業主体のプロモーション目的のものだったり、会社から「行ってこい」と言われて渋々行くような「参加させられている感」があるものしか行ったことがなかったので(笑)。だったら、自分で作ってみようと思いました。

Sendai Frontend User Group

▲江口さんが運営するエンジニアコミュニティ「Sendai Frontend User Group」の様子

もう一つは、面白い話を聞いて僕自身の勉強になれば良いな、という気持ちですね。1人での勉強だけでは、どうしても限界があるんですよ。

骨折して外出できない時期にずっとエンジニアの勉強をしていたんですが、本を読むだけではピンと来ないこととか、「人に聞けたら早いのになあ」と思うことばかりで。本には書かれていない実践に即した知識や気付きを得るなど、自分のレベルをもう一段上げていく時には、誰かとの会話が必要になるものなんだと思うんです。みんなで意見交換できる場をつくって、自分自身もレベルアップすることが理想ですね。

エンジニアにとって、そして自分にとっての理想の働き方を追い求めて

——仙台オフィスでは、テレワークも大きなテーマですよね。江口さんもテレワークを実施しているんですか?

まだ探り探りですが、自分なりのやり方でいろいろ試している段階ですね。休日に趣味の登山などで遠出をすると、日曜の夜、わざわざ家に帰るのが面倒になってしまうんです。そんな日は、出かけた先で一泊して、翌日はそこで働いて、夕方くらいにオフィスにのんびり帰ってくる……みたいな働き方ができれば良いなと思っています。

——テレワークで違和感なく働けるようになれば、山形のご実家で働く、という選択肢もありそうですね。

つい先日、実家からのテレワークも実際にやってみたんですけど、これがとても良くて。

両親の年齢を考えると、2人の面倒を見ることが必要になる日もいつかはやって来ると思うんです。普通なら、そのために会社を休んだり、辞めたりしないといけないですよね。でも、山形からでもテレワークで働けるのであれば、実家にいながら仕事を続けることができる――将来の不安が1つ消えて、安心できたところもあります。

山形の実家には、両親からかわいがられている猫がいるんです。ゆくゆくは、膝に乗せた猫をなでながら実家で働けるようになったら……もう、最高ですよね。

——それは、ぜひ実現させたいですね! では最後に、江口さんが描いているこれから先の未来についてもお伺いしたいのですが、パーソルキャリアの仙台オフィスの一員として、今後の目標はありますか?

現在の仙台オフィスは「東京のサテライトオフィス」という扱いですが、ゆくゆくは東京オフィスと肩を並べるような、もう一つの開発拠点にならなければと思っています。仙台だけで完結するケースを作れば、より仕事の幅が広がっていくはずです。

——なるほど。そのために今、取り組んでいることはありますか?

まずは、仙台オフィスの人員を増やすことからですね。現在、仙台オフィスにいるエンジニアは僕を含めて4人。僕が入社してそろそろ1年になるんですが、僕より後に入った社員がまだいないんですよ。新しい風を入れるという意味でも、そろそろ新メンバーが入ってきてくれたら嬉しいですね。

ただ、新しい社員を採用しようにも、そもそも「仙台にパーソルキャリアの開発拠点がある」ということを知らない人が多いというのが現状です。そのため、仙台オフィスのメンバーは、それぞれ個人の活動を通して、パーソルキャリアの存在を知ってもらおうと頑張っているところもあって。僕がコミュニティ運営をやることで、仙台にいるエンジニアにパーソルキャリアの存在を知ってもらえるきっかけにもなるかな、と思って。

——そのコミュニティについては、今後どのように発展させていきたいですか?

「新しい技術に興味はあるけど、何をやっていいかわからない」という人は、仙台に限らず意外と多いんです。そんな人たちに、考えるきっかけを提供できる場にしていけたらと思っています。

これは僕の体感ですが、仙台で働くエンジニアは、どちらかというとバックエンド寄りの仕事をしている人が多い印象があります。フロントエンドの仕事にも興味があるけど、大企業の外注先として、そこのシステム開発をしている――といった、東京でSIerに勤めていた頃の自分と似たような感じですよね。

その世界にいると、別の世界のことが目に入らなくなってしまいがちで。かつての自分と同じような境遇にいる方々に、「エンジニアには様々な道がある」ということを伝えていけたらと思っています。

(文・編集=ノオト/撮影=品田裕美)

江口拓弥 Takuya Eguchi

サービス企画開発本部 サービス開発統括部 エンジニアリング部 サービスデベロッパーグループ シニアエンジニア

2008年、地元山形のソフトハウスに入社するも、半年後に東京へ転勤。Webアプリケーションの受託開発とセールスエンジニアを3年経て、派遣先であった小さなSIerに転職。システム統合に伴うデータ整備業務を経験し、堅牢なシステムの作り方と運用に触れる。2018年に仙台に移住。Ruby on RailsとVue.jsを使用した受託開発業務を経験した後、パーソルキャリアにジョイン。現在はdodaからの転職者をアフターフォローするサービス「CAREER POCKET」をNuxt.jsとFirebaseを利用して開発している。

※2020年1月現在の情報です。