プログラマーのための行動経済学 (コードをきれいにするのはいつ?)

プログラマーのための行動経済学 (コードをきれいにするのはいつ?)

こんにちは。パーソルキャリア株式会社でデータアナリストとして働いている三浦です。 8 か月前ぐらいに、将来の自分のためにもコードはきれいにした方が良いという内容の記事を書きました。

コードをきれいにする、新しい技術を学ぶ。 将来のために必要だと分かっていても、面倒でつい先延ばしにしてしまいませんか。 この記事も、半年前には書き終わっている予定でした。 今回は、こういった先延ばしをテーマとして扱います。

サマリー

  • 多くの人が先延ばしをする
  • 先延ばしを防ぐにはコミットメント・デバイスが重要
  • コミットメント・デバイスが上手く機能するには、先延ばし傾向を自認してもらう必要がある
  • 時には、第三者による目標設定も効果的

先延ばし傾向(現在バイアス)

よくある先延ばしの事例としては次のようなものでしょう。

明日やろうとしたタスクが、いざ今日になるとやはり面倒になり、後日やることにした。

従来の経済学の理論ではこのような先延ばし行動を説明できません。 しかし、先延ばしは現実社会で多く見られます。 よく例に挙げられるのが、大学生です(研究者が対象にしやすいからかもしれませんが)。 Ellis and Knaus (1977) によれば、95% の大学生は先延ばしする傾向にあるそうです。 また、約半数 (46%) の大学生は期末レポートを書くのをほぼ毎回先延ばししているそうです (Solomon and Rothblum, 1984)。 行動経済学では、この先延ばし行動を経済学的なフレームワークに則って説明することを試みてきました。

行動経済学では、現在バイアス を先延ばしの要因として考えています。 現在バイアスとは何か、先の例から説明します。 若干複雑かもしれませんので、段落の最後の部分まで読み飛ばしても構いません。 タスクをやるというのは、「今」の労力を使い、「将来」の報酬を得ることと考えられます(将来の叱責や罰則を防ぐでも構いません)。 あなたは、昨日の時点では、明日タスクをやろうと思っていました。 昨日の時点では、明日労力を使っても、その後の報酬の価値が労力のコストを上回ると考えていたはずです。 しかし、当日になるとタスクをやることが面倒になりました。 「今」の労力を使うことのコストが、その後の報酬の価値よりも高く感じてしまったということです。 つまり、「今」の価値を大きく感じる、言い換えると「今より後」の価値を小さく見積もっているわけです。 このような傾向を現在バイアスと呼びます。

現在バイアスは、様々な場所・人で観測されています。 Augenblick et al. (2015) や Augenblick and Rabin (2019) では、労力に対する現在バイアスを報告しています。 また、即座に報酬がもらえる場合には、お金に対しても現在バイアスが発生するという報告もあります (Balakrishnan et al., 2020)。

実際の職場でも先延ばしは起こっています。 一定期間内のノルマがある場合、先延ばしをする人は、締め切りにタスクを大量にこなします(夏休みの宿題など)。 例えば、アメリカの特許庁の特許申請のデータを分析した Frakes and Wasserman (2020) は、このようなパターンを観測しています。 特許庁では 2 週間単位のノルマがあり、締め切り日になると、ノルマをこなすために多くの申請が拒否されるていることを報告しています(普段と比べると 87% も拒否率が高い)。 幸い、変な特許が許可されるという結果にはなっていませんが、先延ばしによって特許の獲得が遅くなっていることを著者らは指摘しています。

対策:コミットメント

では、先延ばしを防ぐにはどうすれば良いでしょうか? 答えは簡単で、先延ばしをすると大きな痛手を被るようにするか、先延ばししなかった場合に報酬を追加で与えるようにすればよいのです。 このような仕組みをコミットメント・デバイスと呼びます。 例えば、Giné et al. (2010) では、禁煙に失敗したら新規に作成した口座に入れたお金が寄付されるというコミットメント・デバイスを使い、効果を検証しました。 11% の実験参加者はこのコミットメント・デバイスを使い、比較対照群よりも禁煙率が上昇したことを報告しています。 他にも、コミットメント・デバイスによって貯蓄が増えた研究 (Ashaf et al., 2006) 、運動習慣が継続した研究 (Royer et al., 2015) などもあります。

課題点

コミットメント・デバイスは先延ばしを防げるかもしれませんが、課題もあります。

1. 金銭的な制裁を行うのが難しい

ダイエットや貯蓄などの個人的なことに対してはともかく、従業員の労働について組織が罰則のあるコミットメント・デバイスを用意するのは法律的に難しいです(時には倫理的な問題も生じます)。 代わりに、先延ばしをしなかった場合に報酬を与えるコミットメント・デバイスを用意するのも 1 つの手です。 しかし、この場合現在バイアスがない人が多いと、コストがかさんでしまいます(先延ばしをしない人にもお金を払ってしまうので)。

非金銭的なコミットメント・デバイスも使えるかもしれません。 例えば、コードの質を良くするためのコミットメント・デバイスとして、コードレビューやコードの質を解析して、ランク付けするなどが考えられます。 コードが汚いことが他の人に知られることが恥ずかしいと思うのであれば、期限内にコードをきれいにするように働くかもしれません。 ただし、恥ずかしいと思わない人には有効な手ではありません。 また、過度に行うと、従業員の士気を下げたり、メンタル面に悪影響を及ぼす可能性があるので注意が必要です。

2. 現在バイアスを自認していない人はコミットメント・デバイスを使わない

特に、罰則があるようなコミットメント・デバイスの場合、先延ばしをしない人にはこの仕組みを使うインセンティブがありません。 現在バイアスがあっても、それを自認していない人(自分は先延ばしをしないと思っている人)にコミットメント・デバイスの機会を提供しても、必要ないと思われてしまいます。 Augenblick et al. (2015) や Augenblick and Rabin (2019) では、平均的な実験参加者は自身の現在バイアスを認識していないことが報告されています。 実験室ではなく実社会で実験を行った研究 (Ashaf et al., 2006; Giné et al., 2010; Royer et al., 2015 など) では、そこそこの人がコミットメント・デバイスを使用していたため、実際にはある程度の人は現在バイアスを認識していると考えられます。

3. コミットメント・デバイス設計の問題

コミットメント・デバイスを注意深く設計しないと、意味がなくなったり、逆に悪影響になる可能性があります。 例えば、Schilbach (2019) では昼間の飲酒を抑制するためのコミットメント・デバイスを作成し、実験参加者(インドのタクシー運転手)の昼間の飲酒を控えさせることに成功しました。 一方で、彼らの夜間の飲酒量は増加しており、全体の飲酒量は変化していませんでした。 コミットメント・デバイスを作成する際は、どのような副作用があるかなどにも注意して作成することが必要です。

また、現在バイアスを部分的に自認している人には、罰則のあるコミットメント・デバイスが逆に悪い結果をもたらす可能性があることが理論的に指摘されています (Heidhues and Kőszegi, 2009)。 これは、現在バイアスを部分的に自認している人はコミットメント・デバイスを使用するが、先延ばしを防げるレベルの罰則を自分に課さないため、結局先延ばしをしてしまい、罰則を支払ってしまうからです。 実際に、John (2020) はコミットメント・デバイスを使用したが失敗した人がある程度いることを報告しています。 コミットメント・デバイスを作成する際は、使用する人がどの程度現在バイアスを認識しているかを考慮することが必要です。

組織内の先延ばしを防ぐには

組織がメンバーの先延ばしを防ぐためにどのようなことができるでしょうか?

まずは、インセンティブ設計を見直すのが良いでしょう。 例えば、締め切りがない場合や締め切りが 1 年先などの長期的な場合、現在バイアスがある人は先延ばしをしてしまう可能性があります。 先延ばしをしてしまう人には、より短期的なノルマの締め切りも追加すればよりタスクをこなすようになる可能性があります。 例えば、Kaur et al. (2015) では、自身が設定した目標数よりもタスク達成数が下回ると、報酬の単価が下がるコミットメント・デバイスを用意すると、36% ほどの人が目標設定を行い、タスクの達成数が上昇したことを報告しています。

先延ばし傾向を自認できていないメンバーには、強制的にコミットメント・デバイスを与えるのも良いでしょう。 人の一寸我が一尺というように、他人の方が自分よりも自身の欠点に気づいている可能性があります。 Fedyk (2021) は、他者は相手の現在バイアスを相手自身よりも上手く認識していることを示しています。 先延ばしをするメンバーには、上司やチームメンバーが代わりに目標設定やコミットメント・デバイスを与えるのが効果的かもしれません1

逆に、先延ばしすることを勘定に入れて、デフォルト・オプションを活用するのも 1 つの手です。 401k (確定拠出型年金) の参加率が低かった会社で、何もしない場合には参加しないから、参加するという方式に変更すると、ほとんどの人がそのままにしたことで参加率が大幅に上昇したことが報告されています (Madrian and Shea, 2009)。 例えば、先延ばしをする人がコミットメント・デバイスを使用しない場合、コードレビューを一定期間ごとに行うというのをデフォルトで設定し、キャンセルする場合は別途申請するという方法にするのはどうでしょうか。

まとめ

わかっていても、ついつい先延ばししてしまうのが人の性かもしれません。 意志の強さに頼らず、上手くコミットメント・デバイスを使って、先延ばしを防止しましょう。


参考文献

  • Augenblick, N., Niederle, M., & Sprenger, C. (2015). Working over time: Dynamic inconsistency in real effort tasks. The Quarterly Journal of Economics, 130(3), 1067-1115.
  • Augenblick, N., & Rabin, M. (2019). An experiment on time preference and misprediction in unpleasant tasks. The Review of Economic Studies, 86(3), 941–975.
  • Ashraf, N., Karlan, D., & Yin, W. (2006). Tying Odysseus to the mast: Evidence from a commitment savings product in the Philippines. The Quarterly Journal of Economics, 121(2), 635-672.
  • Balakrishnan, U., Haushofer, J., & Jakiela, P. (2020). How soon is now? Evidence of present bias from convex time budget experiments. Experimental Economics, 23(2), 294–321.
  • Ellis, A. & Knaus, W. (1977). Overcoming procrastination. New York: Institute for Rational Living.
  • Frakes, M. D., & Wasserman, M. F. (2020). Procrastination at the Patent Office? Journal of Public Economics, 183.
  • Fedyk, A. (2021). Asymmetric naivete: Beliefs about self-control. Available at SSRN 2727499.
  • Giné, X., Karlan, D., & Zinman, J. (2010). Put Your Money Where Your Butt Is: A Commitment Contract for Smoking Cessation. American Economic Journal. Applied Economics, 2(4), 213–235.
  • Heidhues, P., & Kőszegi, B. (2009). Futile Attempts at Self-Control. In Journal of the European Economic Association (Vol. 7, Issues 2-3, pp. 423–434).
  • Kaur, S., Kremer, M., & Mullainathan, S. (2015). Self-control at work. Journal of Political Economy, 123(6), 1227-1277.
  • Madrian, B. C., & Shea, D. F. (2001). The power of suggestion: Inertia in 401(k) participation and savings behavior. The Quarterly Journal of Economics, 116(4), 1149–1187.
  • Royer, H., Stehr, M., & Sydnor, J. (2015). Incentives, commitments, and habit formation in exercise: Evidence from a field experiment with workers at a Fortune-500 company. American Economic Journal. Applied Economics, 7(3), 51–84.
  • John, A. (2020). When commitment fails: Evidence from a field experiment. Management Science, 66(2), 503–529.
  • Schilbach, F. (2019). Alcohol and self-control: A field experiment in India. The American Economic Review, 109(4), 1290–1322.
  • Solomon, L. J., & Rothblum, E. D. (1984). Academic procrastination: Frequency and cognitive-behavioral correlates. Journal of counseling psychology, 31(4), 503.

プログラマーのための行動経済学 (自信過剰とリーダブルコード)

三浦 貴弘 Takahiro Miura

デジタルテクノロジー統括部 デジタルビジネス部 アナリティクスグループ アナリスト

2020 年にパーソルキャリア株式会社入社。A/B テストの実験計画作成などに関わる。 専門は行動経済学・労働経済学。先延ばしの研究をしていますが、研究も先延ばししがちです。現在は退職。

 

※2023年3月現在の情報です。


  1. 先延ばしに有効かどうかはわかりませんが、パーソルキャリアではタニモクという他人が目標設定を後押しするワークがあります。興味があれば利用してみて下さい。https://tani-moku.jp/index.html