気づかぬ不調をデータで提示――バイタルデータで健康経営®を支える

気づかぬ不調をデータで提示――バイタルデータで健康経営®を支える

昨今、「従業員のメンタルヘルス改善が経営指標の改善にもつながる」との報告が多くなされるようになり、企業における健康経営®*1の重要性が高まってきました。

しかしリモートワークが広がったことにより、企業や組織が従業員の状態を適切に把握することが難しい状況に。またアンケートなどによる従業員からの主観的な報告では、本人も無自覚の意思やメンタル不調の兆候までは拾いきれません。

そこで今回、「客観的指標として“バイタルデータ”を活用し、健康経営を支える仕組みを作れないか」とエンジニアの有志メンバーが集まり、研究会が発足。データやテクノロジーにまつわる高い知見を持ち寄り、検証がスタートしました。

その過程に、どのような気づきや学びがあったのか――研究会メンバーに話を聞きました。

※撮影時のみマスクを外しています。

※森は退職していますが、本人の同意を得て、掲載を継続しています。

“嘘をつけないデータ”で「自分らしくはたらく」の実現を目指して――

――まずは今回研究がスタートした背景からお聞かせください。そもそも「健康経営」をめぐっては、昨今どのような社会的動向があったのでしょうか。

デジタルテクノロジー統括部 デジタルビジネス部 アナリティクスグループ 倉持 裕太

デジタルテクノロジー統括部 デジタルビジネス部 アナリティクスグループ 倉持 裕太

倉持:健康経営は、アメリカの臨床心理学者が提唱する「健康な従業員こそが収益性の高い会社を作る」という考えをもとに生まれた、経営方針です。

企業が保険料の一部または全部を負担するのが一般的であるアメリカで、「従業員の健康を維持することはコスト削減につながる」という文脈で広まっていきました。

日本ではそれと少し異なり……労働生産性が高まる・従業員の心身の健康を維持し企業リスクを抑えるといった企業視点のほか、「少子高齢化が進む中で、働く人の健康寿命を伸ばす」という社会的な視点でも注目が集まっていて。現在は、政府主導による健康経営の推進活動も行われています。

 

――そのような状況を背景に、今回の研究に着手されるようになった経緯を教えてください。

佐藤:そもそもの出発点は、働きながらスポーツに取り組む社会人スポーツ選手のお客様の「限られた時間の中で最大のパフォーマンスを出すために、効率よく“ゾーン”に入りたい」というお話でした。

少数のメンバーで集まり、ゾーンに入るために必要なきっかけや適切なタイミングを分析しようと、市販の脳波測定器を購入して実験を始めました。

デジタルテクノロジー統括部 デジタルソリューション部 サーバーサイド・インフラエンジニアグループ リードエンジニア 佐藤 哲

デジタルテクノロジー統括部 デジタルソリューション部 サーバーサイド・インフラエンジニアグループ リードエンジニア 佐藤 哲

そこから派生して、脳波をはじめとしたバイタルデータ(※)を活かして、スポーツの例だけでなく世の中に対して何か価値を提供できないか、ビジネスの種を見つけられないだろうか、と、新たなメンバーも集まってきて、有志の研究会が生まれました。

※バイタルデータ:体温や脈拍、血圧など、人間が生きていることを示す指標「バイタルサイン」をデータ化したもの。

 

森:それとは別に、私が「“健康経営” や “人々がキャリアオーナーシップを持った状態” をどう実現しようか」と考えていた中で、バイタルデータに行き着きました。

バイタルデータ活用の研究をしているチームが社内にあると紹介を受けたことを機に、研究会にジョインさせていただいて今回の取り組みが始まりました。

 

――現在は、どのようなテーマで研究を進められているのでしょうか。

デジタルテクノロジー統括部 事業開発部 事業開発グループ リードストラテジスト 森 佳介

デジタルテクノロジー統括部 事業開発部 事業開発グループ リードストラテジスト 森 佳介

森:現在は、自分が “本当に” 理想とするキャリアを描くために「バイタルデータ=客観的な “嘘をつけない” データ」を活用する方法を研究しています。

 

――キャリアを描くにあたっての “嘘” とは?

森:“嘘”とは、勤務中のコンディションについて「従業員自ら発信している情報」の全てが必ずしも事実だとは限らないのでは、という仮説によるものです。 

「健康」は、身体も心も常に健やかで前向きな状態を指しています。そのために世の中の多くの企業は、人間ドックの実施や有給休暇の取得義務化を進めたりと、昔からさまざまな策を講じていますよね。

また、定期的な健診の実施や休暇取得だけでなく、「健康」に大きく影響する要素として、従業員同士や従業員と組織の関係性をサーベイなどで調査し、日々の精神状態を可視化し把握に取り組む企業も増えてきています。

気づかぬ不調をデータで提示――バイタルデータで健康経営®を支える

しかしながら、現在こうした取り組みで企業が従業員から取得しているデータは、従業員のさまざまな都合によって調整され発信されたデータである可能性が多分にあると考えています。そして、従業員は基本的に調整に無自覚であることが多い――

そこで、より客観的なデータの取得可能にし、かつ従業員自身でそのデータを把握・管理できようになれば、「どんな時に強いストレスを感じるのか」「どんな時に“ゾーン”に入りやすいのか」などを従業員自身が知ることができるのではないか。

さらに、自分らしく働く、つまり最適な自分のキャリアを描く際の大きな助けにならないか、と考えました。

 

バイタルデータを活用し、ストレスを計測・可視化することに挑戦

 

――具体的に、どのような研究をされてきたのでしょうか。

デジタルテクノロジー統括部 データソリューション部 サーバーサイド・インフラエンジニアグループ リードエンジニア 宮下 侑大

デジタルテクノロジー統括部 データソリューション部 サーバーサイド・インフラエンジニアグループ リードエンジニア 宮下 侑大

宮下:最初のミッションは、ウェアラブル端末を使って取得した脈拍・睡眠・移動距離などのバイタルデータから、「ストレス」を計測することです。多くの医療機関などでも使われるストレスにまつわる3つの指標をベースに、心の状態を可視化することから始めました。

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  • LF/HF:自律神経(交感神経と副交感神経)のバランスを表すデータ。
    →高周波と低周波のバランスから、日々の業務において自律神経の状態がどう変化したかを可視化。

  • CVRR:脈拍の揺らぎを数値化したもの。
    →息を吸うと脈が速く、吐くと遅くなるという揺らぎが正常に現れているかを可視化。

Pythonを使ってこれらの数値をグラフで表示し、業務を振り返りながら自覚するストレス状況と数値の一致を確認したり、カレンダーと同期してストレスがかかっていたであろう時間帯の数値を確認したりと、データと実際の相互関係を探っています。

 

予測モデルやダッシュボード化で把握・可視化にチャレンジ。

予測モデルやダッシュボード化で把握・可視化にチャレンジ。

 

佐藤:またストレスを直接的に数値で表す試みの他に、取得したバイタルデータからその方が日頃どのような活動をしているかを調べることにも挑戦しています。

例えば、日々ストレスがかかっていて落ち込んだ状態にあると、仕事がしたくないと感じたり、外へ遊びに行くことも億劫になって部屋でぐったりしてしまったり。そういったデータと行動の関係を探っている形です。

 

――研究の進捗としてはいかがですか?

佐藤:現在はデータを蓄積する環境が整った段階で、そこから先の「個人間でデータのばらつきがどう出るか」といった細かい分析にはこれから踏み込んでいくという状況です。 研究成果の一部は、情報科学技術フォーラム日本応用数理学会などで報告をしています。

気づかぬ不調をデータで提示――バイタルデータで健康経営®を支える

 

――技術的な面で、現状見えている課題などがあれば教えてください。

宮下:「睡眠時間中に心身がどのような状況にあるか、どれだけリラックスできているか」と精神不調との関連性が高いと主張する論文が数多く出ているので、睡眠中のデータの解析は今後取り組みたいテーマとしています。

ただ、そもそもこういった一連のバイタルデータは、扱いが非常に難しいんですよね。人によって端末を身につけている時間がまちまちだったり、データを取得している環境が違ったりと、変数がさまざまありますから。その中でデータの精度をいかに検証するかについては、現在もメンバーで議論を深めているところです。

 

社会実装に向けての課題を認識し、答えを急がずに取り組み続けたい

 

――バイタルデータ×健康経営×キャリアオーナーシップというテーマを見据え、今回の研究を通して得られた気づきや学び、課題感があれば教えてください。

宮下:バイタルデータのような個人にまつわる情報を取得することについては、コンプライアンス的な観点もありますし、「データの持ち主は誰であるべきか」など考えなければいけないこともありますから、その中でどう進めていくかは難しい課題だと思っています。

 

倉持:またウェアラブル端末を身につけることが “監視” のようなイメージを持たせたり、「評価につながっているのではないか」と抵抗感を与えたりしかねない側面もありますよね。そこも課題の一つなのかなと。

 

森:現状、サーベイなどで得たデータは”企業が管理する”というのが一般的になっています。

また、個人情報保護に関する規約が今後どんどん更新されていく中で、このようなデータの取り扱いについて個人と企業の関わり方はより複雑になっていくことが予想され、いつまでも「企業目線」を優先させたヘルスマネジメントを継続していくことは従業員のためにならない事態になるかと思います。

「一人ひとりがキャリアオーナーシップを持つ」という私たちが目指す世界観を踏まえると、企業のマネジメントから独立させて従業員がセルフマネジメントをおこなるtoCの形に切り替えるタイミングが必ず来ると考えています。

お二人から挙がったような課題を解決し、個人がデータを得て活用する状況を作るためにも、「データを使うことで自分のQOLがこれだけ高まる」「従業員自身でセルフマネジメントを行えることが、これだけ企業にとっての効果を生む」という双方にとっての価値を示していく必要があります。

 

倉持:Z世代は、データをもとにパーソナライズされた広告やコンテンツが表示されることが、ある程度 “当たり前” になっている世代でもあります。データ取得が評価につながらないという大前提のもとではありますが、一つの突破口になるかもしれませんね。

気づかぬ不調をデータで提示――バイタルデータで健康経営®を支える

森:また少し視点を広げてデータ活用についての課題として、「それぞれのデータをもとに、いかに定義づけを行うか」は重要なポイントだと捉えています。

例えば「この数値が出ている人はストレスを抱えている」というロジックを私たちが作れば、本人がそうは思っていなかったとしても「ストレスを抱えている」という判断になってしまうんですよね。

少し大袈裟にいうと、データ活用を促進して一つの流れを生み出すことは、一人ひとりの人生に大きな影響を与えかねないことでもあると思います。そういった影響力や責任をきちんと自覚した上で慎重に取り組んでいかなければいけないなと思っています。

 

――ありがとうございました!それでは最後に、研究会の今後の展望をお聞かせください。

宮下:この研究会は、ビジネス周りに強い森さんや、健康経営をめぐる背景に明るい倉持さん、私には考えつかない分析手法をご存知の佐藤さん……とそれぞれの長所や経験を活かしながら取り組める、よい場だなと思っています。答えを急ぐことなく、 今後もゆっくりと着実に取り組みを続けていけたら良いなと思っています。

 

佐藤:私も、宮下さんが調べてくださった手法をもとに分析にあたる中で、同じ目的を持った人と一緒に作業するのはいいなと思えています。これからも課題に対してそれぞれのアプローチを続け、一つの形にしていけたら嬉しいですね。

気づかぬ不調をデータで提示――バイタルデータで健康経営®を支える

――ありがとうございました!

(取材=伊藤秋廣(エーアイプロダクション)/文=永田遥奈/撮影=古宮こうき)

 

デジタルテクノロジー統括部 事業開発部 事業開発グループ リードストラテジスト 森 佳介

森 佳介 Keisuke Mori

デジタルテクノロジー統括部 事業開発部 事業開発グループ リードストラテジスト

広告代理店でクリエイターとしてキャリアをスタート。その後リクルートなどで制作・ソリューション企画・戦略企画に携わり、累計約300社に及ぶ企業の採用支援全般に従事。その後、ブランドコンサルティングファームと提携してHRマーケティング事業を行う会社を設立。当時注目を集め始めていたピープルアナリティクスの理論をいち早く取り入れ、クライアントが持つデータをベースとするターゲット分析のPDCAフレームと、コンサルティングファームが持つブランディング・マーケティングフレームを組み合わせた独自のHRマーケティングを展開。支援フェーズを採用からさらに拡大するため、2018年にパーソルキャリア株式会社に参画。現在は事業開発に携わっており、パーソルグループを横断して、データ活用の新しいコミットの方向性を企画中。現在は退職。

デジタルテクノロジー統括部 データソリューション部 サーバーサイド・インフラエンジニアグループ リードエンジニア 佐藤 哲

佐藤 哲 Tetsu Sato

デジタルテクノロジー統括部 デジタルソリューション部 サーバーサイド・インフラエンジニアグループ リードエンジニア

独立行政法人通信総合研究所、株式会社国際電気通信基礎技術研究所、楽天株式会社、NHN Japan株式会社等を経て、2020年にパーソルキャリア株式会社入社。高機能ビッグデータ処理基盤開発、機械学習、時系列データ分析、数値シミュレーション等の研究に従事。 ACM/IEEE/情報処理学会/応用数理学会/日本VR学会/日本数学会/数式処理学会各会員 萌える研究テーマを探しています。

デジタルテクノロジー統括部 データソリューション部 サーバーサイド・インフラエンジニアグループ リードエンジニア 宮下 侑大

宮下 侑大 Yudai Miyashita

デジタルテクノロジー統括部 デジタルソリューション部 サーバーサイド・インフラエンジニアグループ リードエンジニア

2021年に中途入社。前職では画像処理技術を中心にデジタルアートにおける人のセンシングや機械学習関連の業務を経験。パーソルキャリア入社後はクラウド活用業務や自然言語処理を用いたサービスの設計・開発、社内のデータを活用した様々なサービスの提案・促進に携わる。

デジタルテクノロジー統括部 デジタルビジネス部 アナリティクスグループ 倉持 裕太

倉持 裕太 Yuta Kuramochi

デジタルテクノロジー統括部 デジタルビジネス部 アナリティクスグループ

2022年に新卒入社。大学院時代は教育工学・学習科学を専攻。修士研究で取り組んだ若手人材の職場学習に関する研究の中で統計学の面白さに気づく。現在、エンジニアリング・データ分析について勉強中。

※2022年9月現在の情報です。

*1:※「健康経営®」は、NPO法人健康経営研究会の登録商標です。